つむぎ。「久留米絣(くるめかすり)を語りたい。」

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久留米絣の誕生

こんにちは!

皆さんは、普段何がどんなふうにして生まれたかなんて考えたりしますか?

今日は、200年の歴史を持つ久留米絣がどのようにして生まれたのかをお伝えしたいと思います!!

 

 

久留米絣の誕生

 ・久留米絣は、12歳、13歳の女の子が生み出した!

まず久留米絣が生まれる前の、筑後地域の織物の生産としては、その時代各家庭で織物を織ることが当たり前で自給自足的な生産・消費にとどまり、他、地域にに知られるほどではありませんでした。

そんな中、1788(天明 8)年に、久留米藩城下の通外町(現久留米市)に米屋を営む平山家に女の子の誕生で大きく変わりました。

その女の子の名前が、井上伝(いのうえでん)さんです。

彼女は7歳から織物を習い始め、無地や島の生地を織っては城下で売りに出していたのですが、驚くことにその5、6年経った12、13歳の時に久留米絣を生み出しています。

 

・そこ気に留めますか?女の子の意外な着目点

どうやって久留米絣は生まれたのか?

それは井上伝の意外な着目点にありました。

ある日、織物をしていると色褪せた古着の白い斑点模様に気が付き

「なんでこんな斑点ができるのか?」と気になったそうです。

 

‥私なら「なんか模様になってる~」で、終わりですがこの井上伝さん、

その斑点が気になり糸を解いていったということです。

そうすると、糸が白くなっているところが模様になっていくことが分かりました。

 

そしてそれから、意図的に柄を出したいと考え

糸の束を括り、藍で染め、織り上げることを繰り返し、

計算的に柄を出す仕組みができ久留米絣が生まれました。

 

恐るべし12歳‥。

その後、井上伝さんの織物の美しさは評判になり、1827(文政 10)年、伝さんが 40 歳のころには、お弟子さんは1000人を超え、「久留米絣業」として成り立ちました。

 

 

まとめ

12、13歳の女の子が生みの親とは最初とっても驚いたんですよね。

自分が12、13歳の時何してたんだろうと‥(💦)